小さい頃は、欲しいものがたくさんあって、月に一度のおこづかいや、年に一度のお年玉で、何を買おうか買う前に真剣に悩んだものです。社会人になってはじめてもらったお給料は、うれしくて、誇らしくて、もったいなくて、なかなか使い道を決められなかったことを覚えています。しかし、そうやって「買う」というチャンスにひたすら情熱を注いでいた時期も、会社に入って毎月お給料をいただくことで、いつの間にか、お金が入ってくることが当たり前の状況に慣れてきてしまい、時にはストレス解消のために使ってみたり、似合うかどうかは関係なく、興味本位で高価なものを買ってみたり、稼ぐ額にこだわったり、とお金と自分との間にあったトキメキの関係がずいぶん長い間、失われていたように思います。
そんな私も、会社を離れ、その当時超ポンド高だったイギリス留学生活や、帰国後、個人として仕事をはじめたことでお金との関係に緊張感が戻り、ものをもたない豊かさ、金額の大小でははかれない豊かさ、お金を払うことで得られるもの、お金を使うことによる意思表示など、これまで気付かなかった「お金」と「モノ」と「自分」との関係を、あらためて考えさせられる機会を持ちました。
大量生産、大量消費社会による経済モデルはもはやこれまでと同じようにはいかない、ことは多くの人が意識している通りですが、それでも人が何かをつくり、買うことでの経済活動をやめることはないでしょう。
そこで今回、自分が意識して買ったものを、あらためてみつめてみる「こんなものを買った」というシリーズを設けてみることにしました。
何を目的としてそれを「手に入れる」に至ったのか、を書いてみると、まあ、きっと非常にくだらない理由のように思うのですが、そうすることで、非常に主観的ではありますが、モノのもつ価値や魅力、また、何が「買う」行為にいたらしめるのかを再認識できるような気がしています。
高価か安価かは関係なく、ただ自分が「意識して買ったかどうか」がジャッジのポイント。だからこそ、これらを紹介することは、同時に自分自身をさらけだすようで少々恥ずかしい気持ちもするのですが、まあしばらく続けてみようと思います。近日公開。乞うご期待!?