こんなものを貰った_02 : 紙のネックレス

この夏、知り合って16年になるフランス在住の友人宅を訪ねた。私がロンドンに留学して一年くらい経った頃に訪ねて以来だから、彼女の家族を訪ねるのは、6年ぶりになる。その頃ベビーカーに乗って一緒にパリの街を歩いた上の子は小学1年生に。その頃彼女のお腹の中にいた下の子もすでに5歳の幼稚園生になっていた。子供の成長は本当に早くてそら恐ろしいものである。。滞在期間は数日だったが、私が最も感激したのは、まったくその二人の小さな子供たちについてである。まあ子供という生き物は、なんとパワフルですごいものなんだろう。新しいものに対する好奇心、きれいなものに向けるまっすぐな憧れの瞳、受け入れられることを疑うことのない愛情表現、いやー、これにきちんと向き合おうとしたら、エネルギーがいくらあっても足りない!!(笑)子供というものは、いやはや大変なパワーを必要とする生き物のようである。

そんな彼女達が、私が帰る前日にプレゼントをくれた。それが今回の「紙のネックレス」。毎朝、私が化粧ポーチを開いて、ひとつひとつの道具でメイクアップしていくのを、くいいるようにじーっとみつめ、ブレスレットひとつ、ネックレスひとつ、毎朝交替でつけっこしてくれた彼女達。きっとそのことに触発されたのだろう。この紙のアクセサリーは、子供部屋を「完全立ち入り禁止」状態にして、私と彼女達のお母さんにつくってくれたそうだ。(ちなみに友人は紙の指輪をもらっていた)

紙にペンで線画をかき、ハサミで切って、真ん中にファイル用のパンチなどで穴をあけて紐に通す。よく見ると、ハートやマル、三角など色々なかたちがあり、丁寧にうすい紫色を塗ったものもまじって、淡いやわらかなトーンをつくっている。なかなか上手!

これをじーっとみていると、つくる欲求、というものは、本当にただひたすら純粋に、あげたい、よろこんでもらいたい、という欲求から生まれているのではないだろうか、と感じる。

大人になっていくにつれて、技術についての知識がついてくるようになると、こうしたらどうなるかな、という工夫の気持ちも生まれると同時に、ややもすると、うまくなりたい、とか、自分はこんなにできる、といった、自分を誇示するためにつくること、簡単で、す早くできることを目的にすることが、つくる方も、受取る方も、重要なこと、いいことのように捕らえるようになってきたように思う。

でも、このネックレスにある、迷いのない、まっすぐな想いは、何カラットのダイヤモンドより輝いて、きっと何年たっても色あせない。

貰った人がそんなふうに思えるようなもの、つまり、ある人にとって、とてもパーソナルなもの、に、私は今、とても関心をもっている。なぜならそこにデザインが忘れてしまっている大切なことがあるように感じるからである。

友達は、「後で捨ててもいいからとりあえず持って帰ってあげて!」と言ってたけれど、いやいやこれは捨てられません。(笑)

友達は、「後で捨ててもいいからとりあえず持って帰ってあげて!」と言ってたけれど、いやいやこれは捨てられません。(笑)