デザインについて、最近思っていること

「デザイン」という領域に、幸運にも長く身をおいている私ですが、 自分の専門性を一言で表現するとしたら、何て伝えるのが適切なのだろう、と毎年、仕事領域が変化、広がっていく度に考えます。振り返ってみれば、私が「デザイン」の世界にはじめて一歩踏み込んだ美大の学生の頃は、デザインは「産業」と強く結びついており、専門領域も、アウトプットも、より「モノ」と結びつき、関連するものが主流でした。

その大学を卒業して20年。今「デザイン」は、より「社会」の問題に向き合う機会が増え、そのアウトプットも、まず「システム」や「しくみ」といった「フレーム」構築の精度に重要度が集まっています。
そしてこれまでデザイナーのアウトプットとしてメインだった「モノ」の提案、制作は、ひとつは「未完成でもまずはテストランをして、改良を繰返すためのプロトタイプ」として、もうひとつは「はじめから高精度を求めるオブジェクトの生産」を追求する、少なくとも二つの流れが存在し、素早く誕生させるモノの役割と、じっくり時間を要して誕生するモノの役割は、それぞれ違う価値を伴っています。

今、私が母校で主任教授と共に担当しているクラスは、産業における様々な専門領域を学ぶ、国籍も年齢も違う生徒が、あるテーマに対し、前者の方向で「フレーム」と「モノ」の両方を提案する、というクラスですが、どんなテーマであっても、そこに必ず「私」を介在させることから始めるということを課しています。
それは「デザイン」にはそれを発言し、やりとげる側の「意志」と「責任」が不可欠なことに加え、どんなに相手のことを考えてのしくみ、モノづくりであっても、それを「自分ごと」として主観的に捉えられない限り、価値ある提案へ近づけないことに気づいてもらうためです。

数年前、トークショーでお聞きした永井一正さんの言葉が、最近よく頭に蘇ります。

『自然の一部である「自分」に向かって深く深く降り、自分を120%だせれば、それは「社会」とイコールになる』

はじめて聞いた時は、この言葉の意味がよく理解できないでいましたが、このところようやく、ああこういうことなのかな、と想像できるようになってきたように感じます。