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こんなものを貰った_03 : Spirits of England

外出先から戻ると、机の上に小さなパケットが届いていた。
それはロンドン在住のイギリス人友人から、私へのバースデイギフト。
そこで私は喜びにはやる気持ちを押さえながら、パケットに冷静な視線を向ける。

ーーー はて。今年はどういう趣向できたのだろう?

彼女は出会ってからこれまで、私への誕生日とクリスマスのギフトを、一度もかかさないで送ってくれるのですが、そのどれもがいつもとてもユニークなアイデアで、あけるたびに心地よい驚きがあるのです。例えば、ある時はデザインウィークで発見したらしい、小さなおもちゃだったり、ある時はそのシーズンでしか手に入らない小さなチョコレートだったり。時には、これは一体どうやって使うんだ?というものもあったりするのですが、きちんとオチが分かるように解説もつけてきます。

贈り物を選ぶのは、もっとも楽しく、同時にもっとも難しい買い物でもあります。相手のことを思って、相手に気に入ってもらいたいという気持ちで、球すじを考えるけれども、これ!という球を打ち込むには、その相手がぎりぎりフォローできるレヴェルも考慮しなければなりません。相手が上級者だと、まっすぐな球ばかり投げていては、簡単に返されてしまうし、逆にこちらがどんなに変化球が上手でも、相手が受け止められなければ、恐怖の印象だけを残してしまう危険性も。

そういう意味で、彼女は非常に高度なテクニックをもったバランスのいいプレーヤー。
私に対しては、ズバッといい球を投げてきます。

さて、今回の球は、古きよきイングランドを、彼女らしい直球にみせかけた変化球で打って来たようです。そこには私が出国前日にデパートを駆け回って買い求めた、大好きなラベンダーソープも入っていました。ムムウ、お主いいところを突いてくるのう。

このように義理堅く、でも決して直球ではない投げ方は、私が経験してきたイギリス文化の最も刺激を受けた部分でもあります。
ユーモアのある、まじめなやさしさ。
その高度な「対話」に触れることで、私はかの地で経験した「異文化」と対峙した時の驚きと刺激を、いつも鮮やかに思い出せるのです。

そして直ちに私も返答を考えます。なぜなら彼女の誕生日もこれまた同じ月の数週間後というなかなかニクいタイミングにあるからなのです。球えらびは、これがどうして、なかなか難しいのだけれども、これをやらずして、どうして日本とイギリスの友好関係が保てるというのか!?(笑)

勝負(?)はいつもイーブン、だと個人的には思っていますので、もうしばらくは、この試合が終わることはないでしょう。さて、私たちのラリー。どこまで続くかな?

なんて素敵なOld England! 暖かくて、懐かしくて、優しいです。

なんて素敵なOld England! 暖かくて、懐かしくて、優しいです。

こんなものを貰った_02 : 紙のネックレス

この夏、知り合って16年になるフランス在住の友人宅を訪ねた。私がロンドンに留学して一年くらい経った頃に訪ねて以来だから、彼女の家族を訪ねるのは、6年ぶりになる。その頃ベビーカーに乗って一緒にパリの街を歩いた上の子は小学1年生に。その頃彼女のお腹の中にいた下の子もすでに5歳の幼稚園生になっていた。子供の成長は本当に早くてそら恐ろしいものである。。滞在期間は数日だったが、私が最も感激したのは、まったくその二人の小さな子供たちについてである。まあ子供という生き物は、なんとパワフルですごいものなんだろう。新しいものに対する好奇心、きれいなものに向けるまっすぐな憧れの瞳、受け入れられることを疑うことのない愛情表現、いやー、これにきちんと向き合おうとしたら、エネルギーがいくらあっても足りない!!(笑)子供というものは、いやはや大変なパワーを必要とする生き物のようである。

そんな彼女達が、私が帰る前日にプレゼントをくれた。それが今回の「紙のネックレス」。毎朝、私が化粧ポーチを開いて、ひとつひとつの道具でメイクアップしていくのを、くいいるようにじーっとみつめ、ブレスレットひとつ、ネックレスひとつ、毎朝交替でつけっこしてくれた彼女達。きっとそのことに触発されたのだろう。この紙のアクセサリーは、子供部屋を「完全立ち入り禁止」状態にして、私と彼女達のお母さんにつくってくれたそうだ。(ちなみに友人は紙の指輪をもらっていた)

紙にペンで線画をかき、ハサミで切って、真ん中にファイル用のパンチなどで穴をあけて紐に通す。よく見ると、ハートやマル、三角など色々なかたちがあり、丁寧にうすい紫色を塗ったものもまじって、淡いやわらかなトーンをつくっている。なかなか上手!

これをじーっとみていると、つくる欲求、というものは、本当にただひたすら純粋に、あげたい、よろこんでもらいたい、という欲求から生まれているのではないだろうか、と感じる。

大人になっていくにつれて、技術についての知識がついてくるようになると、こうしたらどうなるかな、という工夫の気持ちも生まれると同時に、ややもすると、うまくなりたい、とか、自分はこんなにできる、といった、自分を誇示するためにつくること、簡単で、す早くできることを目的にすることが、つくる方も、受取る方も、重要なこと、いいことのように捕らえるようになってきたように思う。

でも、このネックレスにある、迷いのない、まっすぐな想いは、何カラットのダイヤモンドより輝いて、きっと何年たっても色あせない。

貰った人がそんなふうに思えるようなもの、つまり、ある人にとって、とてもパーソナルなもの、に、私は今、とても関心をもっている。なぜならそこにデザインが忘れてしまっている大切なことがあるように感じるからである。

友達は、「後で捨ててもいいからとりあえず持って帰ってあげて!」と言ってたけれど、いやいやこれは捨てられません。(笑)

友達は、「後で捨ててもいいからとりあえず持って帰ってあげて!」と言ってたけれど、いやいやこれは捨てられません。(笑)

こんなものを貰った_01 : さくらんぼと夏野菜ー山形からの便り

彼女とはじめて出会ったのは、私がまだ会社にいた頃だったから、すでに10年以上の時が経ちます。手先が器用で頑張り屋。優しくて、料理はとびきり上手で、彼女がときどき催すお食事会はみんなが楽しみにしている素晴らしい会だったな。ひとつも気取りがなく、一口食べるごとに心があったかくなって、こどものようにはしゃいでしまう。本当に贅沢な会でした。

でも私にとって、彼女にまつわる何よりも深い思い出は、友人たちとはじめて彼女の実家に遊び行った時の経験です。

その頃の私は、いろいろなことに悩みはじめていた時期でした。会社に勤めて数年経てば、それなりの経験をつみ、仕事はどんどん充実していくものの、忙しさが加わって、心と体のバランスを崩しはじめる、そんなところに彼女が、他の友人とともに彼女の実家、山形での休日に誘ってくれたのでした。時期も確かちょうど今と同じ時期でした。

到着し、まずみんなが歓声をあげたのは、その木にびっしりと、たわわに実った真っ赤なさくらんぼでした。全員荷物をおいて飛び出し、教えてもらって、夢中でさくらんぼをつみます。
おやつにはお母さん手製のしそジュースと、次々とでてくる、さまざまなお漬けもの。どれもはじめて食べるとびきりの味でした。良く笑い、はしゃぎ、そしてひとしきり興奮したら、やわらかい風のはいる畳の部屋で、みんなごろんと寝てしまう。こんなに気持ちよくお昼寝したのは、一体何年ぶりだったでしょう?
その日の夜はバーベキューで、お父さんが庭からひっこぬいた長ネギを焼き始めました。よく焼けた頃、お父さんはネギの白い部分だけを食べて、緑の穂先の部分をぽーんと庭に捨ててしまいます。
「あれっ?お父さん、ネギ、まだたべるとこあるのに?」「白いところが一番美味しいところだ。青いところは放っておき」と言って、また別の白い部分を吸っているので、まねをしてみたら、納得でした。白い部分は、いままで経験したことのないほど甘く、口の中でとけていったのでした。
沢山笑って、沢山飲んで、沢山食べる。本当にお母さんがいうように、「肉以外の食べるものは、みんな畑でとれたものか、手作り」で、どれも私がこれまで味わったことのない、とても素直で、やさしい味でした。

このときの旅で、私はこれまで、あるひとつの物差しでしか、物事を見ていなかったことに、はじめて気付いたのでした。ただこの時点では、何が自分を悩ませ、不安な気持ちにさせていたのかを、心と体がなんとなく教えてくれただけで、頭で整理し、ことばにして理解できるようになるまでには、このあとまだまだ時間が必要だったのですが。

その後数年たって、私は会社を辞め、留学を決意しました。あ、この体験が直接の原因ではないことは断っておかなきゃね。これを読んだ私を知っている人に誤解されたくないですから。(笑)それにこう言っては何だけれども、今はその時よりももっといろいろな経験をつんだので、さらに柔軟な見方ができるようになっているのではないかと思っているし。(笑)

この時期、彼女からさくらんぼが送られてくると、私はいつもあの時の気持ちを懐かしく思い出します。
もやもやと、不安な気持ちを抱えていたあの時の私の心を、彼女は知って家によんでくれたのでしょうか。
とにかく、つやつやのさくらんぼからは彼女の「元気?」の声とともに、あの時の出来事がひとつ、ひとつ、みんなの笑顔とともによみがえってくるのです。

つやつやで甘酸っぱいさくらんぼ。この時期にしか食べられないからまたいい。

つやつやで甘酸っぱいさくらんぼ。この時期にしか食べられないからまたいい。

こんなものを貰った_00:プロローグ

先だって「こんなものを買った」というテーマで、自分の購買嗜好からモノの魅力を探るシリーズを設けたのですが、実はもうひとつ、ずっと興味があったことのひとつに「貰ったもの」がありました。
自分がずっと欲しいと思っていたモノを人からいただいて喜ぶことももちろんありますが、自分では思いもよらなかったものを人からいただいて、新しい発見をすることがあります。そういうとき、自分は知らず知らずのうちに、自分の範囲を限定していたな〜と思うのです。

そこで、「こんなものを買った」の対シリーズとして「こんなものを貰った」のシリーズも設けてみようと思います。
送り手自身が感じた魅力のポイントとは視点が違っているかもしれませんが、受け手である私が感じたそのモノの魅力や使い方を示すことで、むかし昔、紅茶がうまれたように、納豆がうまれたように(おっと、食べ物ばかりですみません)いずれ何か新しい融合物の誕生に発展する機会になるかも??というかすかな期待をこめて。

不定期更新。乞うご期待?